2015年10月28日水曜日

想像力


少し前に改装リニューアルオープンの豊田市美術館へ行きました
メインの展示は「ソフィ・カル-最後のとき/最初のとき
目の見えないひと、視力を失ったひとが
何を美しいと感じるのか
かれらが海とはじめて対面したときの様子など
静かに写真とことばと映像で綴られています

その少し後テレビで「トナリのウチュウ」というドラマのようなものがありました
ネコや昆虫類はそれぞれの寿命によるライフサイクルをもち
独特の目を通した情報はひとが感じる「世界」とは全く違う物です
それぞれのイキモノの世界を想像力をはたらかせて
覗いてみようというものでした。

豊田市美術館の売店で本を買いました
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
目の見える人は自分の世界を「満ちている」と考え
見えない人の世界は「欠けている」と思いがちです
でも
例えば4本脚の椅子は脚を一本取ったらバランスが悪く立ちませんが
配置を変えれば脚は3本でも椅子は立つわけです
つまり「見えない」はマイナスの世界ではなく
あらたなバランスの世界であるということです


まだ全部読んでいないのですがいろいろ考えることがおおい本です

事故などで視力を失ったあるひとは
最初はそれまで見えることで得ていた膨大な情報がないことに
不安を覚えたそうです
けれど、慣れてくると、必要な情報はひとにぎりで
それ以外の情報はなくてもよいものだとわかります
そうすると、視界から否応なしに入ってくる情報であたまを占領されることがないので
想像する力、判断する力が
見えていたときとは比べものにならない広がりになるのではないか
そういうことでした

物の形や大きさを把握するのに
見える人は目からの情報をもとに
3次元だとわかっていても2次元的に記憶しています
けれど見えない人はもとから視点がないので物を俯瞰的に理解しているそうです
・・・そういう文章を読んでいくうちにはじめて
位相幾何学の必要性を納得できたような気がしました
例えばコーヒーカップには様々な形、有名ブランド特有の絵柄
などなどあるわけですが形としてはカップ部分と取っ手の輪がくっついているだけです
「ひとかたまりに穴がある」という意味で
コーヒーカップとドーナツはトポロジー的には同じである、というのは位相幾何学の入門編ですが
ただ、飲み物を入れるという機能があるのでカップ形状は必要
見えない人はそういう観点で理解しているということでした

萩尾望都さんのマンガに『スターレッド』というSFがあって
火星で生まれたヒトは代を重ね4世代目には完璧な超能力者になる
目はあるけれど、目で見ているわけでなく俯瞰的に空間認識をしている
・・・そういう設定でした

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の
少なくとも視力のかわりにどうやって物を理解しているのかというところで
そんなことを思い出しました

花を生けるのに
花の色、季節感、原産地、形、大きさ、動き、質感・・・
様々な観点で花を選んでアレンジすることができるのです
そういった基準はあくまでも目に頼っています

物を作り出すときに、お花のアレンジメントのそのような法則だけでない
手触り、温度、イメージといった
なんというんだろう・・・しあわせを連想させる物作りをしたいなぁ
そんな風に思いましたね

想像力は無限ですね


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