2015年6月16日火曜日

文学部OBの憂鬱



国立大学への交付金についてなにやら決まったみたいですね

「人材育成や課題解決で地域に貢献」
「強みのある分野で全国的、世界的な教育研究」
「世界で卓越した教育研究」
各大学は自分の役割をこのどれかに決めなさい、それに応じて予算だしましょう
という方針です


ああ、また人文系の居場所がなくなるなぁ
と思いました


総合大学の学部間では
利益を上げられる「病院」を持つ医学部は発言力が強い
企業との連携研究が進んでいる工学部など理系学部も強い
それに対して文系は・・・
随分前に各都道府県に教員養成機関を備える必要はない、と
教育学部閉鎖の動きがありました
文学研究などは、コミュニケーション能力の向上につながらない限り
存在価値を認めてもらえません

コミュニケーション手段としての言語と文学研究は全く別ものです
『源氏物語』の研究者なら日本語教師として優秀か?
それは明らかに違うでしょう
外国人へ日本語を教えるための講座を受講してみるとわかります
外国語との違いを理解し、何をキモにして教えるべきか、
これまで多くの人たちが経験し蓄積してきた「技術」が明確にあるのです

今の教育現場(小学校から大学まで)では(いえ、公的機関すべてですね)、
評価機関=文科省へのアピールに時間と手間を費やされていると感じます
「地域のためにこんなことをやってます」
「ここで学ぶとこんな将来像が描けます」
「生徒たちはこんなに満足しています」・・・
そうして高い評価とともに予算をいただく
その期間が短いことが一番の問題なんですよね
すぐ、成果を求めたがる


そんなときにこんな文章に出会いました
映像もありましたので貼っておきます
この中のエピソードの一つです

岐阜県のカミオカンデで実験した結果、ニュートリノを検出した小柴先生が
ノーベル賞を受賞した日の記者会見でのことです
(以下引用)
  ・・・ある記者が「ニュートリノは私たちの役に立つことがあるんでしょうか?」
  と、質問しました。
  小柴先生は、ほとんど間髪を入れず、ある意味ではちょっとにべもなくという感じで 一言だけ
  「ないね」
  と、お答えになったんです。



「だけど、すぐに人の役に立つことではないけれど、すばらしい価値がある、というものが
世の中には、研究に限らず、いろいろとあるはずなんです」。


交付金について人文系にプレッシャーを与えるモノではないとか
与える側(文科省)は発言していますが
受け取る側はそうは思いません


文学部卒業生だからって別に憂鬱じゃないんですけどね・・・(^_^;

・・・・・

3月18日頃に太陽活動が活発になってすごい磁気嵐がおきました
極地方ではオーロラ爆発が観察されました




その後北海道でもオーロラが観察されましたが
当然原因は同じでしょう

しかしほぼ、3ヶ月たった今頃こんなニュースですか?
物事の検証には時間がかかるものですね



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